その2 2002.08.14


 テントの朝は暑かった。7:30には、暑さに追い出されるように外に出た。丘の上を走り抜ける風は心地よい。
 昨日の鍋の煮汁を使って、ちゃんぽん麺を入れて、名称不明の麺を食べて出発だ。

 今日の第1目的地は平和公園。涼しい午前中にたどり着こうという算段である。

 昨日頂いたパンフレットから、市街地のはずれにある駐車場はパーク&ライドで、駐車場は何時間止めても500円ということが判明。今日はパーク&ライドの対象となっている、ビッグNスタジアムの近くにある松山駐車場にクルマをとめた。ここはプールと隣接しており、浮き輪を持った子どもたちの姿も多い。もちろん、路面電車の駅もすぐそばで、今日行く予定の平和公園も近くである。

 平和公園の前のファミリーマートで、栄養ドリンクを補給。なんだか体がしんどい。2日酔いのような気もする。そんなに昨日飲んだっけ?
 ちなみにうちの子も熱っぽい。大丈夫か?

 まだ10:00だというのに、太陽の日差しはもはや全開に照りつけてくる。目の前には、平和公園へと続く長い階段。わが子が少し熱っぽいので、階段は抱っこして登る。もはや汗だく、体力勝負。息が上がる。
 へろへろになりながら、ようやく階段を上り詰めた。さっき栄養ドリンクを飲んだというのに、もう、全部使い果たした感じ。やっぱり、2日酔いか?

 平和公園は、長期休暇のシーズンとしては少な目だった。やはり団体の観光客がいないからだろうか。おかげで、ゆっくり写真を撮ったり、平和の像を眺めたり出来る。ワタクシは、平和の像を改修してから初めての平和公園。久しぶりに見た平和の像は、不自然にきれいなように感じた。以前は雨だれがいくつも付いていて、一種のすごみがあったような気がするんだけど・・・だけどあの雨だれは、酸性雨の影響によるものでしょうから、今の姿の方が自然なんでしょうね。

 ついつい、足はお土産やさんに向かってしまう。何を買うわけでもないのに、申し合わせたように、我が家族の足並みが揃う。やっぱり、この暑さではクーラーのある場所へ自然と足が向かうのだ(笑)

 我が子は、きれいな切子ガラスとか、ビードロなどがならぶお土産店のなかで目を輝かせている。ワタクシはというと、あまり代わりばえのしないお土産に飽きて、お土産店そばのベンチで脱力状態。
 先ほどよりも、もっと日差しが強くなってきているようだ。生命の危機を感じてきた。この周りには、原爆資料館など史跡が点在しているが、とにかくこの刺すような日差しに耐えかねて、先ほど登ってきた階段を戻った。あんなに大変だった階段も、下りはあっという間。

 が、この先どうしよう。全く、あてなし。全く、頭も働かない。
 とりあえず行きにも寄ったファミリーマートで、長崎のマップルをゲット。松山(もちろん四国ではなく)の電停のベンチで電車を待ちながら、行き先を探す。今年のマップルは、チャンポンの特集をしていた。うーん、暑いときの熱いチャンポンは元気が出そうだ。チャンポン屋さんはどこに多いのだろう・・・。そっか、長崎には中華街があるんだった。

 高校生で込み合う路面電車で築町へ。
 電停を下りると、中華街のゲートが見えてきた。




 小さな川を、真っ赤な欄干の橋が架かり、その向こうにはゲートが待っている。川と行っても、その上流も下流も駐車場として蓋をして使っているから、あまり風情はない。けれど、ゲートをくぐればそこは中国。なにやら漢字ばかりの世界になる。

 日常会話でも中国語が周りに聞こえ
、突然の異文化にうきうきしてくる。

 マップルにもいろいろ店が載っているが、ここは自分の勘に頼り、雰囲気だけでおいしそうな店を探すことにする。と、あまり大きくないけど、こぎれいな感じの店の前で、カミさんとワタクシの足が止まった。「西湖」という店の前だ。

 店にはいると、席数は30くらいか。感じの良さそうなおばちゃんが迎えてくれた。何となく下町の風情が嬉しい。調度品もまんま中国で、海外旅行に来たみたい。でも、日本語が通じるのはうれしい。

 我が家族は、皿うどん(揚げ麺)と、春巻、それにチャンポンを注文した。

 暑かったからだろう、非常に水がうまい。なくなった頃に、さっと水を追加してくれる心遣いがうれしい。これは、料理も期待できるかも。
 と、料理が到着。

 ワタクシは、皿うどんからいただく。

 うーん、うまい!! 

 魚介類も甘みがあってうまいが、この麺がまたうまい。
 一般的な皿うどんに比べると、一回りは細いだろうか? 細いのにべちゃっとしてなくて、しゃりしゃりとした歯ごたえ。こりゃ、うまいです。

 次に、チャンポン。まずは、スープから・・・。

 チャンポンのスープがまたうまし!

 ふつうの油っぽい感じとは違って、非常に優しい味なのだ。間違いをおそれずに表現すると、クリームスープっぽいスープ。こりゃ、フランス料理のスープに出てきてもうまいぞ。いろいろな材料のエキスがにじみ出たスープは、嫌みがなく、まじでうまい。
 麺もうまい・・・が、こちらは讃岐うどんの方が勝ちかな。変な勝負だけど、麺フェチとしては一歩も引けないところだ・・・何じゃそりゃ!

中国料理 西湖(せいこ)
長崎市新地町 9-11
tel. 095-827-5047



 今日は、あと永井隆記念館に行きたい。と、思う。
 でも、中華食べたら、やっぱり珈琲でしょ・・・と、中華街で喫茶店を探すものの見つからない。やっぱり、中華と珈琲は合わないのか・・・?

 しょうがなく、長崎ワシントンホテルの一階で、珈琲タイムとした。何だかビジネスマンが多い。お盆はちゃんとお墓参りしないと・・・って人のことは言えない(>_<;)
 ワシントンホテルだから、何もかもがまぁまぁだ。まぁまぁ満足して、バスセンターへ向かう。

 バスセンターの窓口で永井隆記念館への行き方を教えてもらう。
 永井隆記念館へはここからはバスは出ていませんで・・・・・・(!)

 不覚でした。バスセンターに行けばバスに乗れると思ったのに、かなり離れたバス停まで、行かなければならない。またまた、暑い中、移動開始。アスファルトからは猛烈に照り返し、熱風が吹き付ける中、我が家族、とぼとぼと進む。

 あまりに日差しが強く、商店街へ避難する。そこに見えたのは2件の喫茶店。カミさんの目とワタクシの目が合う。ニヤリ。これで決まった。

 何となく、セルフの店の方がゆっくり出来そうな気がしてサンマルクカフェへ。このときは長崎ローカルのお店かと思っていたんだけど、今ホームページを調べたら、結構大きなチェーン店だと判明。大分にないと、すべてローカルな店だと思ってしまう悪い癖(笑)
 何となく、ソファー席をゲットしたい。なんとしてでもゲットしたい。ちょっと目を血走らせながら(笑)、ソファー席を探す。絶対に背もたれにもたれてゆっくりするんだ!
 そんな執念が通じたのか、ちょうど2階の一番奥、長ソファーの席を確保。やった、これで世界は我々のものだ・・・なぜ、そこまで思うのか。

 ワタクシは、エスプレッソのLサイズ。ワタクシは暑いときも熱い飲み物をとる。どうも冷たい飲み物は苦手。体が冷えると非常にしんどくなる。「夏ばてしないように、温かい飲み物を頼みなよ」と言おうと思ったら、あんな冷たいものばかり頼んでるんだから、うちの家族は。あとでしんどくなるんだから、知らないよ。

 ま、いっか。ワタクシは、エスプレッソとモンブランケーキという、大好物でゆったりとした時間を過ごすのさ。

 それにしても、キャンプ生活からこういった場所に出てくると、田舎から都会に出てきたみたいで変な感じだ。ちょっと、背筋を伸ばしてみたりする。

 と、ワタクシの前の長ソファー席に座っている、我が娘。靴を脱ぎ出す。何が起こるのだろうと考える間もなく、まるで我が家にいるが如く横になり、すやすやと寝に入った。うーん、こんなお洒落な店でなかなか強靱な精神の持ち主だ。ワタクシは店内に流れるジャズを聴きながら、エスプレッソを片手にマップルを眺める。何だか眠くなってきたぞ。

 ふと、カミさんをみると、うとうと・・・やっぱり、みんな疲れているなぁ・・・。

 と、突然、ピアノ音が聞こえてきた。なんか、非常にいい音のするスピーカーだな・・・でも、なんだか、音の伝わり方がダイレクトだ。
 ふと後ろを振り返ると、グランドピアノの前に人が座り、生演奏を奏でていた。こういった場所で、自動演奏のピアノの音を聞かせてくれるところはあるけど、生演奏とは恐れ入りました・・・。

 生演奏は結構長く続き、周りの席の人たちも聞き惚れているのか、そわそわした雰囲気が一気になくなった。非常に得した気分。うとうとしながら、至福の時を過ごす。

サンマルクカフェ 長崎浜町店[Map]
長崎県長崎市浜町1-11濱よしビル1-2F
7:30〜22:00
095-816-0309



バスを降りて、坂道を上ると長崎市永井隆記念館に到着。ワタクシが添乗員出来ている頃は、こんな立派な記念館はなかったような気がするのだが・・・ともかく、記念館があるというのは勉強したい者にとってはありがたい。

 なぜ、わざわざ原爆資料館ではなくここに来たのか? それは、ワタクシが添乗員のバイトをしている頃、ここの説明で非常に感動したからなのです。バイト中に感動して涙を流してしまったというのは、先にも後にも、この永井隆博士の話だけ。もちろん、ガイドさんも非常に話が上手だったのでしょうけど。

 感動してた割には、如子堂(永井隆記念館)には、バスの駐車場がないことと、募集旅行は時間設定がタイトなので、一度も来たことがありません。今回長崎に来たのも、ここに来てみたいからだったからです。

 早速、中に入ってみる。

 ワタクシ、ここに来るまで勘違いしていたのですが、永井隆博士は原子爆弾による被爆によって白血病になって、亡くなったと理解していたのです。
 が、実際は、放射線科の医師だった永井隆博士は、戦争が激しくなるにつれ、レントゲンフィルムがなくなる中、結核の早期発見のために、X線を患者から直接目視して診断を行い、一日300人以上というレントゲン診断を行う中で、ついに白血病で余命3年と診断されてしまう。
 その直後に、長崎で被爆し、自分のけがも応急処置だけで、後は何度も気を失いながら、原爆でけがをされた患者さんのために医療活動を行った。永井博士自身も余命が少ないにも関わらず、奥様を原爆で失い、2人の小さな子供たちを抱えて、親の責任を果たせないことを悔しがりながら、病と闘い、一方で原爆で被爆された方々のために献身的に医療活動を行い、原爆病の研究をした。
 これが、永井博士の簡単な略歴です。

 永井博士は一方で、たくさんの著書も残しており、この原稿などが記念館に展示されています。

 この中で、ワタクシの心の中で強く心に残ったのは・・・・・・、
 原爆でけがをしたり、その後の病気については世間でもよく言われている。が、一番大切な心の問題について、ほとんど認知されていない状態である。この原爆投下後の街では、隣の人がうめき苦しんでいても、助けることは自分の死を招く行為でもある。人と人とが助け合い、支え合うという、人間としての当たり前の行為を、自ら否定し、非常なまでの利己主義を通した者しか生きていくことが出来ないこの体験が、多くの人々の心を傷つけた。こういった人に心の傷を作る戦争は、2度とやってはいけないことだ。
・・・・・・という主張でした。

 永井隆博士の資料は、死を覚悟してから原爆投下にあったことと、キリスト教の熱心な信者であったことが関係しているのか、一方的な論理になりがちな戦争や原爆について、中立的にかつ分かりやすい文章を残しています。これまで、「かわいそう」とか「ひどい行為」といった断片的な原爆への捉え方をしていたワタクシですが、人間の心理にまで踏み込んだ原爆に対する捉え方を学んだことは、非常にためになりました。

 我が子が、もう少し物事が分かるようになったら、また連れてきたいと思います。永井隆博士の記念館は、生まれた場所の島根県三刀屋町にもあります。こちらは父の里の松江に帰る途中の町ですので、ぜひ行ってみたいと思いました。

よかったら、永井隆博士の他のページにも行ってみてください
[ Link ]
己の如く人を愛した人 〜永井隆〜
如子堂・長崎永井隆記念館・帳方屋敷跡
三刀屋町役場 〜永井隆〜
永井隆博士の人生と長崎との出会い
長崎新聞 〜ナガサキの思想と永井隆〜

長崎ふらふらツァーは次のページに続く
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